Kennyの一橋大学日本史対策

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江戸時代の災害と一揆


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問題(2015年度 一橋大学 大問1)

 次の文章を読んで、下記の問いに答えなさい。(問1から問3まですべてで400字以内)

 

 近年の日本では災害が多発し、防災対策の整備が急務となっているが、近世においても多様な災害が繰り返し人々を襲った。1657年には、(a)江戸で大きな災害が起こり、10万人を超えるともいわれる死者を出した。

 都市部・農村部を問わずに甚大な被害をもたらしたのが、飢饉である。近世には享保・天明天保飢饉など、多くの死者を出した飢饉が何度も発生した。そのなかで、為政者や民衆は、それぞれの立場から(b)飢饉・凶作への対策を模索するようになった。

 飢饉・凶作時には、各地で百姓一揆が頻発した。19世紀半ば以降、とりわけ幕末・維新期には、政治・社会の動揺や変化を背景として、(c)それまでの百姓一揆とは性格の異なる一揆が広くみられるようになった。

 

問1 下線部(a)の災害を何というか。また、この災害以降も、同種の災害が都市部を中心に頻発したが、この種の災害がとりわけ都市部において頻発した理由を説明しなさい。

 

問2 下線部(b)に関連して、天明飢饉後に松平定信が実施した飢饉・凶作対策のうち、江戸向けと農村向けのものをそれぞれあげて、その内容を説明しなさい。

 

問3 下線部(c)の、それまでの百姓一揆とは性格の異なる一揆を何というか。また、それがそれまでの百姓一揆と異なる点は何か、説明しなさい。

 

解答例

問1 明暦の大火。兵農分離によって農村に居住していた武士が集住し、営業の自由や地子免除の特権を得て商工業者も移住したため、江戸時代の都市部は多くの人口を抱えていた。狭い町人地に木造家屋が密集し、防火施設や消火制度の整備も不十分だった。

 

問2 江戸では町入用を節約させ、節約分の7割を窮民救済のため米や銭で積み立てさせる七分積金を実施し、江戸町会所にこれを運用させた。また、旧里帰農令に基づき定職の無い者に資金を貸し与えて帰村を奨励し、農村人口の確保を図った。農村では囲米を実施し、各地に社倉・義倉を設けて米穀を蓄えさせた。また、倹約令を出して倹約で得た金を救荒資金にあてた。

 

問3 世直し一揆。従来の一揆は、本百姓を中心に多数の農民が参加して年貢減免や専売制撤廃を領主に強訴した。世直し一揆は、貧農・小作人を中心に質地返還や物価引下げを求めて世直しを標榜し、豪農商・村役人層に対する打ちこわしを伴うものが多かった。

 

解説

問1

1657年の災害といえば、明暦の大火ですね。これは、センターレベルです。

さて、論述のポイントは、江戸時代に都市部で火災が頻発した理由。都市部=城下町と捉えれば、兵農分離によって農村に居住していた武士が集住していたこと。さらに、その武士の生活を支えるために商工業者も城下町に移住してきたことが、都市部の人口過密を招いた理由にあげられます。

その結果、城下町の町人地には木造家屋(長屋)が密集したうえ、防火施設(広小路や火除地)や消火制度(町火消)の整備も不十分だったため、江戸時代の都市部では火災が頻発したと解答できます。

都市部=江戸の町と捉えれば、将軍直属の旗本・御家人や参勤交代を勤める大名とその家臣、そしてその需要を満たすために商工業者も移住してきたことを書いても良いですね。

 

問2

寛政の改革のうち、飢饉・凶作対策を江戸向けのものと農村向けのものとに分けて説明する問題。教科書の知識だけで解答可能なうえ、他大学でも頻出の分野ですから、解答しやすい問題だと思います。

 

問3

幕末・維新期に政治・社会の変化や動揺を背景として頻発したのは、世直し一揆ですね。村方騒動は18世紀~19世紀初頭に起こったものなので、時期が違います。

従来の一揆とは惣百姓一揆のことで、一般農民が指導者となって広範囲の農民を組織し、年貢減免や専売制撤廃などを領主に強訴しました。形態としては、藩全体で起こる全藩一揆の場合が多く見受けられます。

世直し一揆の中心となったのは、小作人など下層農民でした。質地返還や物価引下げ、村役人の罷免など要求は多岐に渡りましたが、「世直し」という社会変革を標榜して激しい打ちこわしを伴ったところに特徴があります。

 

 

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