Kennyの一橋大学日本史対策

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歴史学の変遷


◆ヒストリー(history

初期の歴史学は、文字通り story が中心でした。

すなわち、客観的な事跡の記録(編年史)と物語が混在していたわけです。

イリアス』や『平家物語』は、まるで歴史小説のようなスタイルで書かれています。

 

◆近代歴史学(19世紀)

19世紀になって、ようやく物語性を排除した客観的な歴史を目指すようになりました。

産業革命の頃から自然科学は急速に発展しましたが、それに触発されたのですね。

近代歴史学の祖であるランケは、史資料の収集・史資料の批判的分析・事実の再構成からなる、歴史学実証主義を唱えました。

 

近代歴史学歴史観が、野蛮→未開→文明という段階的発展を唱える進歩史観です。

それに伴って、ヨーロッパ(進歩・文明世界)中心主義という世界観も持ちました。

また、近代歴史学の研究対象は法制史や議会史など国政が中心でした。

 

近代歴史学が日本に持ち込まれたのは、明治時代のことです。

1880年代後半、文科大学に史学科や国史科が創設されて歴史学がアカデミズムの中に明確な位置を得ると、1889年には『史学会雑誌』が創刊されました。

この『史学会雑誌』は『史学雑誌』に名前を変え、現在も発刊されています。

史学会雑誌』創刊の2年前には、ランケの弟子であるリースが東京帝大に赴任し、史学会(『史学会雑誌』の発行元)の創設を指導しました。

 

◆現代歴史学(20世紀)

20世紀に入ると、近代歴史学を批判する現代歴史学が登場します。

現代歴史学歴史観は、唯物史観(歴史を動かす原動力=生産力や生産関係の変化)、すなわち「マルクス主義歴史学」と呼ばれるものです。

また、脱ヨーロッパ中心主義を掲げ、英米圏では「グローバル・ヒストリー」という世界の各地域の横のつながりを重視する視点が出てきました。

さらに、研究対象も脱国家が中心となり、いわゆる社会史が登場しました。

 

もちろん、近代歴史学を批判的に継承した点もあります。

近代歴史学は、史資料を徹底的に批判することによって、誰が研究したとしても最終的には1つの歴史的事実に辿り着けると考えました。

現代歴史学も、史資料から歴史像を生成しようとする点は同じです。

しかし、ここで書き手の「主観性」が問題となりました。

つまり、史資料の解釈は書き手の主観によって左右されるため、誰が書いても同じ歴史像になるはずがないということですね。

したがって、現代歴史学は近代歴史学の「実証主義」を継承しつつも、歴史学者は史資料の解釈の妥当性を争うようになったのです。

 

◆歴史的思考とは

歴史的思考とは、単に過去を「客観的」に明らかにすることではありません。

現在の事象には必ず歴史的背景があるはずで、そのつながりを捉えることで現在を理解することが歴史を学ぶ意義だと、僕は思います。

例えば、近代以降の日本の植民地統治を知らずに、現在の東アジアの歴史認識問題を議論したところで、それは非常に空虚なものになってしまいます。

あるいは、不安定な国際情勢の中で安全保障体制をどう構築するかを考えるとき、歴史を振り返らなければ同じような過ちを繰り返してしまう可能性があります。

現代社会はグローバル化や科学技術の発展によって、ますます複雑になっていくことでしょう。

混沌とした世界を理解するため、必須のツールとなるのが歴史なのです。

 

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